東区協力雇用主会の北洋建設 小澤輝真さんからいつもメールをいただく。
彼は、雇用主会のメンバーとしてばかりではなく、日本財団 職親プロジェクトの一員として就労支援を中心とした更生保護活動をされている。
今日のメールでは、小学校校長を歴任され、現在北海道教育大学で教員養成に関わっていらっしゃる横藤先生のHPが掲載されており、とてもうれしく思いましたので、貼付けました。
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北洋建設・小澤社長の挑戦
平成26年12月、新聞に入ってきた地域のミニコミ紙(『クラブエッセンスNEWS』第115号 読売センター新さっぽろ発行)を読んでいた私は、思わず座り直しました。
その記事は「人生をかけて! 働く喜びを伝える北洋建設(株)代表取締役 小澤輝真」。
そこに書かれていたのは、小澤社長が元受刑者を北洋建設に積極的に受け入れて、社会復帰を助けているというものでした。
(読売新聞新さっぽろ、上記ミニコミ紙編集者の浦崎様のお許しを得て、以下にその全文を掲載します。)
職親(しょくしん)プロジェクトという存在を知っているだろうか。日本財団が行っている、少年院や刑務所出所者の円滑な社会復帰を行うための就労支援策なのだ。働く場所があることで再犯防止に繋がり、みんながみんなを支えるという目的で関西からスタート。2013年12月全国展開を機に、北海道で唯一参加した札幌市東区にある北洋建設株式会社代表取締役小澤輝真氏に仕事を通じた社会貢献に対する熱き思いを聞いた。
創業の原点
今から42年前父親がとびの会社で働いている時に親方から独立しろと言われて北洋建設を起しました。いきなり独立したのはいいけれど働き手がいない。亡くなった父に真相は聞くことが出来なかったけど、最初は止むに止まれず創業時から元受刑者を雇っていたのではないかと思います。日本財団は1年前から始まりましたが、はるか以前に民間で取り組んでいたというのは先見の明があったからだと思います。しかも独自で受入れしていたため、ノウハウも金銭的な支援も一切ない。それどころか隣近所の人たちから「お前の会社は犯罪者ばかりいる」と苦情を言ってくる始末です。しかし、外の清掃や冬の除雪など自社だけでなく周りに広げていくうちに、お酒など持ってきてくれるようになり、逆に感謝される関係に変わっていきました。
犯罪者というと世間のイメージは悪いかもしれません。しかし、よくよく話を聞いてみるとそれぞれ事情がある。一端を紹介するともともと大手飲食店の店長をやっていたが違う飲食店に引き抜かれて行ったら、給料をくれない。家賃も払えないため出前に行った際のお金で支払ったら逮捕された。会社に入ったら怖い人ばかりで、辞めたいけど辞めさせてくれない。しかたないのでATMを壊して警察に捕まった。裁判官にも同情は出来るが犯罪は犯罪と言われます。彼らは極めて普通の人たちですが、刑期を終えた時にはほとんど働き先が見つかりません。そのため全国の刑務所から直接電話がかかってきて、「こういう人がいるんですが受け入れてくれませんか」と言われ、日本中面接に行きます。少年院に入っていた子たちも暴走族にいたり背中一面に入れ墨を入れていたりいろんな経歴の人がいますが、共通しているのは親に心底怒られたことがない。愛情に飢えているんです。出所したての時は、10代でいきがっていますがまずは挨拶から教えます。「お前なんだ。挨拶もできないのか!」と真剣に怒ります。段々と良くなるとほめます。「おー。凄い良くなってきているなぁ」と言うと嬉しそうに答えます。人は皆、同じなんです。父は早めに亡くなりその後母が社長を務めていました。社員が不祥事を起こして警察に呼ぱれ、本人と会うなりいきなりビンタをしました。しかも泣きながら。警察官もビックリして、なだめながら諭したそうですが、母は親として接しているんです。そんな社員が一杯いて、毎年5月の母の曰はカーネーションで溢れ返っています。
これまで、使用した元受刑者の社員は300人を超えています。なぜそんなに多いのかというと、2・3年したら辞めていいと言っているんです。しっかりと手に職をつけて、ある程度一人前になったら、地元に帰りたくなったり自分でやってみたくなります。その時に「北洋建設で働いていました」と言えと教えています。次に働く相手先の信用度がガラッと変わります。その'瞬間から社会から普通に受け入れてもらえるようになります。だからといってボランティアで受入れているわけではありません。互いの人生をかけて、本気でぶつかり合う。するとどんどん変わっていく。濃い付き合いが人として思いやりを持てる人材に育ち、会社の活力に繋がっていきます。辞めた後、結婚し子どもが生まれ、先代の社長である母に一番に見せたかったと言って来てくれた時はやってて間違っていなかったと思う瞬間です。
病気に負けない、夢は続く
2010年から厚生労働省が勧める中間的就労のモデル事業所として活動も始めました。簡単に言うとニートや障害者の方で、本格的に会社で働くことが出来ない人たちを雇う制度です。資材センターで働いていますが、作業が早くて丁寧なんです。やらせてみて初めてわかりました。僕自身も難病である「脊髄小脳変性症」にかかっていて、病気になったから気づいたことがたくさんあります。3年前に発症しましたが、ベストセラーになった1リットルの涙の主人公である木藤亜也ちゃんと同じ病気です。既に言葉がわかりづらかったり、普通に歩けなくなってきています。やがて字が書けなくなり、話せなくなり、寝たきりになり、死に至るという病気です。大脳は正常に機能しているため知能には全く障害がない。だから何が起きているのか明確にわかっているというやっかいな病です。
僕白身若い時やんちゃだったため、高校を中退しました。その後、時間をかけて高校、大学と卒業し、現在は日大の大学院に通っています。既に卒論を書き上げましたが、テーマはズバリ「職親、協力雇用主、更生保護における再犯等の考察」です。担当教授から先例がないから、「小澤君、君が日本における先駆者になれ」と励まされています。余談ですが、東京ドームなどで開催されているジャニーズのコンサートの設営は全て僕の会社で請け負っています。仕事や勉強そして職親の活動含めて今の僕があるのは全て札幌青年会議所で教わりました。残された人生、いつまでなのかわかりませんが、命ある限り全力で駆け抜けます。
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一読して感動に身体が震えました。
電話番号を調べ、2月に北洋建設に会いに行きました。
「今年の卒業式式辞は、小澤社長のことを語ろう。」と思っておりましたので、その下書きを持参しました。
お母様と小澤社長が温かく迎えてくださり、あっという間の1時間でした。
当初卒業式に参列してくださるということでしたが、お仕事の関係でそれは叶わず残念でした。しかし、当日はステキなお花を届けてくださり、手直しした式辞をお送りしたところ、大変喜んでくださいました。
また、その後は北洋建設の取組をたくさんメールで送ってくださいます。
上の記事では、送り出した元受刑者の数は300人と書かれていますが、この記事を書いている平成28年9月では500人を超えているそうです。なんともすごい数です。
平成28年9月に、久しぶりに北洋建設を訪問しました。小澤さんは、前に比べて移動はやや不自由そうでしたが、相変わらず明るく前向きで、次々に今受け入れている方のエピソードなどをたくさん伺うことができました。
その席上で、本サイトで小澤さんの紹介をするという話があっという間にまとまり、このページを開設するに至ったわけです。